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最近は、小学校でもタブレットの導入などが新たなスタンダードになりつつあり、幼児教育も小さければ小さい方が良いと言われているのをよく耳にします。一方で、子どもは外で子どもらしく遊ぶ方がいいという声もありますね。一体何が正しいのか、様々な意見に揺られながら悩んでいるご家庭も多いかもしれません。
我が家では、基本的に子どもにスマホやタブレットなどは必要以上に触らせない方針で子育てをしているのですが、それでも子どもがテレビを見たときに、テレビの画面をタブレットのようにページをめくろうとしたり、画面をタッチする仕草を見たりしたときは、「あぁ、時代は変わっているんだなぁ・・・」と思わずにはいられませんでした。
私たちの子どもの頃の常識はもう子どもたちには通用しなくなりつつあります。この変化のスピードはこれからも様々な技術の発展に伴ってどんどん加速していくでしょう。このように著しく変化しようとしている時代の中で、私たち親は子どもたちにどのような教育をし、子どもたちの成長を見守っていくべきなのでしょうか?私も一人の親として頭を悩ませるところです。
時代の変化の中で注目される「非認知能力」
きっと、どの時代にも、我が子にいい教育を与えてやりたい、幸せな人生を歩んで欲しい、と願うのは親として普遍的な願いなのだと思います。しかし、その正解は時代と共に変化していきますし、また子どもたち一人ひとりにとっても違うはずです。
だとすれば、どんな時代にも培うことでその子の人生の役に立つ力、というものは一体どんな力なのでしょうか?そんなときにふと目に留まったのが「非認知能力」という言葉でした。「非認知能力」とは、簡単に言えば学力テストなどでは測れない、数値化できない力のことを差します。
最近では、教育の現場でもこの「非認知能力」の重要性が改めて見直され始めています。私はこの「非認知能力」が、たくさんの教育法が溢れ、価値観も多様化している今の時代に、私たち親にとっても、また子どもたちにとっても一つの子育てのヒントになるのではないかと思っています。というわけで、今回は「非認知能力」について焦点を当ててみたいと思います。
「非認知的能力」とは?
「非認知能力」という言葉は、2000年にノーベル賞を受賞した経済学者、ジェームス・J・ヘックマンが初めて提唱した言葉です。計算能力などの数値化しやすい力を認知能力とすれば、非認知能力は学力テストなどでは測りにくい、数値化しにくい力のことを指します。
例えば、
などが挙げられます。
これらの力がなぜ重要なのか、それを裏付けた研究に「ペリー就学前プロジェクト」というものがあります。
ヘックマンは、アメリカのミシガン州にあるペリー幼稚園で実施されていた就学前プログラム「ペリー就学前プロジェクト」を行なっていました。
このプログラムは、経済的な貧困層に該当する3~4歳の幼児123名を二つのグループに分け、一つのグループの子どもと親にだけ、毎日2時間のプレスクール通園と週1回の家庭教師の指導(90分)を実施するという内容でした。就学前プログラムによる教育を受けた子どものたちが将来どのような人間になっているのか、年収や学歴、犯罪率などを40歳まで追跡調査したのです。
すると、就学前プログラムを受けた子どもたちの方が、プログラムを受けなかった子どもたちより明らかに年収や学歴が高く、さらに犯罪率は低いという結果が出たのです。
そして、この就学前プログラムが「非認知能力」に重点を置いたプログラムであったため、ヘックマンは非認知能力を伸ばすことが、子どもたちの将来を大きく左右すると主張しました。
どんな場面でも生きてくる「非認知能力」
非認知能力は、なぜこれほどまでに将来に大きな影響を及ぼしたのでしょうか?
私は非認知能力という能力の「応用性」にその理由の一端があると思います。
子どもたちがどんな人生を歩むかは一人ひとり違ってきます。しかし、非認知能力はどんな場面や状況にも用いることのできる力です。
学校でのお友達との何気ないやりとりに始まり、受験勉強、社会に出てからの大人同士のコミュケーションなど、人生のどのような場面においても、問題を解決する能力や忍耐力、コミュニケーション能力などの非認知能力は、応用が効く力です。
「家庭」という守られた社会を一歩飛び出せば、そこには価値観の違う人たちがたくさんいて、自分の思い通りにならないことが山ほど待っています。そんな社会の中で自分の意見を持ち、相手を尊重し、問題に直面しても解決に向けて歩んでいける力、自分の人生を切り開くために必要な力、それらが「非認知能力」だと言えるのです。
この研究が可視化した結果というのは、非認知能力というものがステレオタイプ的な「社会的な成功」ー年収や学歴、犯罪率や持ち家率などにとどまっています。しかし、私は非認知能力というのは、このような数値化できる結果だけではなく、子どもたちが社会の波や人の意見に流されず、自分で自分の課題を乗り越え、人生を自分で切り開き、自分なりの「幸せ」を見つけていくというためにも、とても大切な力でもあるのではないかと感じます。非認知能力は、「社会を生きぬく力」「自分らしい幸せを掴む力」といってもいいのではないでしょうか。
教育現場における具体的な動き
非認知能力はヘックマンの提唱がきっかけとなり、教育や保育の現場でも、重要視されはじめています。学校教育でも論述形式の試験問題の増加や、グループディスカッションなど、詰め込み型の従来の勉強だけでは対応できない形式に変わりつつあり、認知能力だけではなく非認知能力も評価する動きが各方面で出始めています。
授業では、プロジェクト・ベースド・ラーニング(Project Based Learning)といわれる問題解決型学習や、サービス・ラーニング(Service-Learning)と呼ばれるような社会連携型の授業が積極的に取り入れられるようになってきました。
このように、社会が非認知能力を重要視し、制度としてこれらを評価しようとする取り組みを始めていることは、とても望ましい変化だと思います。しかしながら、社会や教育の現場だけがこのように非認知能力を評価し、伸ばすための働きかけをしたとしても、社会を形作る私たち一人ひとりの意識が変わらなければ、本当に非認知能力を伸ばすことは難しいのではないでしょうか?私たち親も自分自身を省みて、子どもと共に非認知能力を伸ばしていくための努力が今求められているように感じます。
「非認知能力」を伸ばすには?
ここまで、非認知能力がなぜ近年重要視され始めてきているか、またそのために教育現場ではどのような変化が起こり始めているかを簡単にご紹介してきました。現代では、大抵の知識はインターネットや教材の普及により獲得することが可能になりましたが、一方で、非認知能力のような他者との関わり、自らの体験を通して培う力は意識的に伸ばしていかなければ育てることが難しい時代になってしまいました。
また、私たち大人も時代の変化と共に非認知能力が衰えていっている部分が少なからずあるのではないでしょうか。大人も含め、引き続きこの能力を伸ばし、育てていくためにも、日頃からまずは私たち大人が主体的に子どもたちと関わり、他者と関わり、また自分自身と関わっていくことが大切だと思います。ここからは具体的にどのように非認知能力を伸ばしていくことができるのかを身近な例をとって考えてみたいと思います。
日常生活は、非認知能力を伸ばす絶好のチャンス
非認知能力の興味深く、また開かれている点は、これらを伸ばすためには何か特別な「教育法」が必要だという訳ではない、ということだと私は思います。それを「具体性がない」「漠然としている」と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、それを逆手に取れば「どんな経済状況の子どもたちにも、この能力を伸ばす機会は作ってあげられる」ということなのです。
非認知能力という言葉を知ってから、子どもたちとの関わりについて改めて見直し、以前より自分の子どもたちとの接し方に対して意識的になりました。
例えば、我が家は子どもが3人いるのですが、上の二人の兄弟喧嘩がはじまったとき、頭ごなしに「やめなさい!」と止めに入って強制終了させるのではなく、冷静に、そして対等に子どもたちと向き合い、対話を通して子どもたちとしっかり関わるようにし、親自身がまずは変化することに意識を向けました。
すると、子どもたちはそれぞれの年齢に応じた、それぞれの立場での言い分があり、主張があることが見えてくるようになりました。こちらが感情を脇に置いて、こじれた糸を紐解くように丁寧に子どもたちの感情の交通整理をしてやると、自然に「ごめんね」という言葉が出てきたり、「僕はそのおもちゃがほしかたかったから、たたいちゃったんだよ、でもたたいてごめんね。」と言葉で伝えて、「それなら今は貸してあげるからあとで返してね。」と強制的ではなく、自分たちなりの折衷案を見つけて仲直りをしたりできることが増えてきました。
こんな何気ない日々の喧嘩でも意識的に目を向けてみると、子どもたちはそれぞれに他者とコミュニケーションをとる力や、思いのままにいかなくても自分の気持ちをコントロールし、且つ相手に自分の思いを伝えるということを学べます。もし仮に手を挙げたことがあったとしてもそこで力加減を学んだり、様々なことを「喧嘩」という経験ひとつからでも学んでいるのだと気づかされました。
このように、ほんの少しだけでもいつもより子どもたちの行動を深く見つめてやると、子どもたちの学びを助け、また私たち親も子どもたちの立場に立って状況を理解し、共感するという非認知能力を伸ばすことができることがわかりました。このサイクルを積み重ねていくことにより、きっと子どもたちも親に自分を理解してもらえているという喜びや、自己肯定感を育むことができるのではないかなと思っています。
また、非認知能力について知ってから、子どもたちは自分たちなりに問題を解決する能力を既に持っているのだということに、親である私自身が気づかされました。子どもたちはきっと大人が与えなくても自ら育んでいこうとする力を内包しています。私たち大人はそれを邪魔するのではなく、また見放すわけでもなく、あくまでも必要に応じで援助する、という立場で子どもたちと関わることが大切なのではないでしょうか。そうすることにより、子どもたちは自らで問題を解決し、必要な時に必要な援助を得ることにより他者との信頼関係を育み、また自分でできた、という自己肯定感も育むことができるのだと思います。
社会や、教育現場での変化にだけ頼るのではなく、私たち一人ひとりも、子どもたちの非認知能力を伸ばすことができることを、忘れずに子どもたちと関わっていきたいなと思います。
まとめ
非認知能力という聞きなれない言葉ですが、この言葉が表す様々な能力を私たちは毎日の生活の中で使いながら他者と関わり、社会の中で生きています。他者とコミュニケーションをとり、他者を思いやり、自分の気持ちを整理し、コントロールする。これらの能力はたとえこれからどれだけ人工知能が発達しても、社会の状況が変わったとしても、人と人との関わりがなくならない以上、必要とされ続けていく能力だと思います。
子どもたちとの関わり方はその子の年齢、発達の度合いなどによっても変化していくと思いますが、そのような様々な変化に柔軟に対応していくこともまた、私たち大人に必要とされている一つの「非認知能力」なのかもしれません。様々な経済状況、家庭環境の子どもたちが、自分の人生を生き抜くためのヒントが詰まった「非認知能力」、ぜひ皆さんのご家庭でも今日から意識されてみてはいかがでしょうか?
【参考・引用・関連リンク】
「学力テストで測れない 非認知能力が子どもを伸ばす」 中山芳一(著) 東京書籍
■The Productivity Argument for Investing in Young Children∗ James J. Heckman and Dimitriy V. Masterov
■「『幼児教育』の重要性①ペリー就学前プロジェクト」