私たちヒトの胃に生息する細菌「ピロリ菌」。

近年の研究では、胃がんの約9割において、ピロリ菌が原因とされており、その名が広く知られるようになりました。また以前から、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因とも言われ、現在ではピロリ菌の除菌をする人も増えてきています。
ピロリ菌が原因とされる胃がん患者の3分の2が、65歳以上と高齢者が多数を占めます。これはピロリ菌感染率が日本の場合、高齢者では50%を超えるので、当然といえば当然です。20代で感染率は、約20%となっています。ピロリ菌感染者でも若い時に、胃がんを発症することはまれで、感染していても特に自覚症状はありません。いったいピロリ菌は約50~60年の間、私たちの胃に住み着いて何をしているのでしょうか。そして、子育て中の親世代にとって、いったいどんな関係があるのでしょうか。

ピロリ菌の発見と発がん性

ピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ〈Helicobacter pylori〉)は、オーストラリアのロビン・ウォレン(Robin Warren)とバリー・マーシャル(Barry Marshall)という二人の研究者によって、世界にその存在を知らしめることになりました。1983年のことでした。胃潰瘍の患者の胃に必ずS字状に湾曲した細菌が存在することは、以前から知られていました。二人の偉大な功績は、世界で初めてピロリ菌の純粋培養に成功したことです。さらにはピロリ菌を自ら飲んで、胃潰瘍の原因であることを証明しようとしたという身体を張った実験が、人々の記憶に強く印象づけることになったのでした。(2005年ロビン・ウォレン氏とバリー・マーシャル氏の二人には、ピロリ菌研究の功績からノーベル生理学・医学賞が授与されています。)

だが、細菌を自ら飲むという実験の結果、急性胃炎を起こすことが確認されたものの、胃潰瘍の原因であるとまでは証明できず、まだわからないことばかりという状態でした。その後の研究で、ピロリ菌は「CagA(キャグエー)」と呼ばれるたんぱく質を分泌していることがわかってきます。なんとピロリ菌は、この毒性を示すCagAを宿主の胃上皮細胞へ直接注入して、細胞増殖や細胞の結合機能に影響を与えていたのです。この作用が、がん細胞の増殖を促進し、また胃粘膜を傷つけて胃炎や胃潰瘍を起こす原因となるわけです。こうした胃上皮細胞への影響により、CagA陽性ピロリ菌は、胃がん発症リスクを何倍にも高めていることも後の研究でわかってきました。
一連の研究を受けて1994年に、世界保健機関(WHO)の外部組織あたる専門機関「国際がん研究機関(IARC)」において、「発がん性がある」というグループ1に認定されることとなりました。

日本のピロリ菌は、強毒性の「CagA」タイプ

日本は他の先進国に比べても胃がん患者が多く、胃がん大国とまで言われています。それは先に出てきた「CagA(キャグエー)」と呼ばれるたんぱく質を分泌するピロリ菌が大きく関わっています。ピロリ菌にも種類があり、特にこのCagA陽性ピロリ菌がもっとも胃がんリスクを高めます。欧米ではCagA陽性ピロリ菌の感染者は少なく、その多くが日本や韓国、中国といったアジア圏で感染を広げています。日本において胃がん患者が顕著に多いのは、感染しているピロリ菌が、この強毒性のCagA陽性ピロリ菌であるからとされます。(沖縄県を除くほとんどの地域で感染するピロリ菌は、CagA陽性タイプです。)

感染しているピロリ菌が、胃がんリスクを最も高めるCagA陽性タイプの場合、除菌をすることで、胃がん発症リスクを下げることができるとして、除菌が盛んに行われています。日本では、検査してピロリ菌感染がわかれば、胃酸分泌を抑える薬と抗生物質2種類を7日間服用して除菌します(1次除菌)。再度検査をして、除菌ができていない場合には、薬を変えて2次除菌を行います。

ペリコバクター・ピロリ

ペリコバクター・ピロリ

ピロリ菌感染は子ども時代に起きます。ピロリ菌の感染経路は主に2つ。口から口と、糞便からの感染です。子どもがピロリ菌に感染するかどうかは、母親が保菌者であるかどうかが、最も影響します。例えば、胃からゲップなどで上がってきたピロリ菌が、口の歯垢内に留まります。そして、現代では減っていると思いますが、母親が咀嚼した食べ物を子どもに与えたりする場合に、移してしまいます。またピロリ菌に汚染された水を飲むことでも移ります。日本では、衛生状況が良く、汚染された水を飲むことはほとんどありませんが、途上国で河川の水を生活用水や飲料水として使用する地域では、ピロリ感染率が高くなります。世界的に都市部の若年層では感染率は減少し続けています。

日本での研究をみてみましょう。国際医療研究センター国府台病院の上村直実院長らの約8年間の追跡調査によると、ピロリ菌陽性者1246人のうち36人(約2.9%)が、後に胃がんを発症し、一方、ピロリ菌陰性者280人の中では、胃がん患者は出なかったと報告されています。
確かにこのピロリ菌が、胃潰瘍や胃がんの発症に関係しているのは間違いないと言えそうです。医学的には2.9%という数字は、決して軽視できるものでは無いでしょう。しかし、一般的な感覚としてピロリ菌に感染していると、将来高い確率で胃がんになるとまでは感じません。むしろ、ピロリ菌に感染していることが絶対条件としても、胃がんを発症した人と、発症しなかった人の違いは何だったのか、他の複合的な要素についても気になるところです。

ピロリ菌の忘れられた側面

ピロリ菌研究で知られる微生物学者マーティン・ブレーザー氏(Martin J. Blaser)は、ここ10年の研究の間に、ピロリ菌に対して真逆ともいえる見解を持つようになりました。

胃の中は強酸性の環境です。通常であれば細菌などの微生物が生息できる環境ではありません。しかし、ピロリ菌はそこに生息し定着することができます。それは、ピロリ菌自らが産生する「ウレアーゼ」という酵素を使って胃酸を中和しているからなのです。この働きのおかげで私達の胃は、胃酸の酸性度をうまく調節し、胃や食道が傷つくのを防ぐことができているのです。

ピロリ菌がいなくなると「胃食道逆流症」が起こりやすくなります。いわゆる胸焼けの症状です。これは出すぎた胃酸がゲップなどの刺激で逆流し、食道を傷つける状態のことを言います。この状態が続けば「バレット食道」と言われる症状になる可能性が出てきます。バレット食道は、胃酸の逆流が主な原因とされており、欧米人で多かった症状ですが、近年日本人でも患者が増えています。(海外と日本におけるピロリ菌感染率の差も影響しているかもしれません。)このバレット食道になると高い確率で食道がんになると言われています。

研究が進むにつれて、ピロリ菌の除菌が胃がんのリスクを下げる一方で、食道がんのリクスを高めるかもしれないという議論が巻き起こってきています。最も胃がんリスクを高め、毒性があるとされたCagA陽性ピロリ菌感染者が、胃食道逆流症やバレット食道などの食道疾患に対しては、最も抵抗性があるという結果が報告されています。

確かにピロリ菌感染者のほとんどがCagA陽性ピロリ菌である日本において、胃がんはベスト3に入るがんですが、食道がんは全体数からすれば少数といえます。
(※がん情報サービス http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/annual.html

ピロリ菌は胃酸の調整という役割を担っていたのです。そのおかげで胃酸の逆流という現象を防ぐことができていたと考えられるのです。ヒトは進化の過程で、ピロリ菌に胃酸の調整という役割を任せたのかもしれません。

現在の子どもたちはピロリ菌感染者が少なくなってきています。これは、先に書いた感染経路が、現代の生活では絶たれているからです。胃酸分泌の調節が不安定な状態で、長い人生を過ごすことも、ケースとしてはあり得るでしょう。若いうちから胃薬を飲む時代も、現実となるかもしれません。そして将来、ピロリ菌の減少とともに、食道の疾患が増える可能性も否定できません。

喘息やアレルギーとピロリ菌の関係

ブレーザー氏は、喘息やアレルギーとピロリ菌の関係についても研究を重ねています。ピロリ菌の減少が、喘息やアレルギー疾患を引き起こしているのではないかと疑いを持ったからでした。

そこで、喘息有病率とピロリ菌感染率との関係を3回に渡り調査しました。その結果「ピロリ菌保菌者は、アレルギー疾患有病率が低い」という結果が出たのです。5歳未満の子どもの場合においては、ピロリ菌感染者は非感染者に比べ、アレルギー疾患のリスクが40%も低かったのです。
さらには、ピロリ菌感染者の制御性T細胞(Tleg ティーレグ)の値は、非感染者の3倍もあったのです。これはつまり、ピロリ菌感染者の方が、免疫細胞の活性と抑制のバランスが上手く保たれていて、アレルギー体質になりにくいことがわかります。

そしてまた、乳幼児期にピロリ菌感染した子どもの場合、アトピー性皮膚炎や喘息のリスクが半分以下になるという結果も出たのです。これは、ピロリ菌に感染する時期も重要であることを示しています。赤ちゃんのうちに感染することが、免疫系の発達には良い影響を与えるのでしょう。

これについては、チューリッヒ大学のアンネ・ミュラー氏(Dr.Anne Muller)の研究でも、早期のピロリ菌感染が、後のアレルギー疾患を予防するという結果が出ました。
人工的に喘息を起こしやすくしたマウスを使い実験したところ、後に喘息を発症する割合が最も低かったのが、生後間もなくピロリ菌に感染したグループでした。生後間もなくにピロリ菌に感染すると、免疫の制御回路が活発になり、炎症反応が軽減されます。しかし、感染する時期がそれよりも遅くなると、炎症反応は逆に強くなり、がんのリスクを高くしてしまうというのです。

アレルギー疾患の予防効果が期待できるピロリ菌の感染時期は、マウスの「生後間もなく」という時期、人間でいうとおそらく「生後1年間程度」でしょうとミュラー氏は推測しています。

ミュラー氏はさらに重要なことを指摘します。
抗生物質を投与してピロリ菌を除去したマウスは、制御性T細胞(Treg)が激減し、喘息の予防効果もなくなってしまうというのです。

結核とピロリ菌の関係

結核は、現在でも非常に怖い感染症です。患者数は年々減少傾向にありますが、日本国内では約2万人の新規結核患者がおり、年間約2000人の方が亡くなっています。(厚生労働省-平成26年結核登録者情報調査年報集計結果)
結核は、結核菌に感染したからといって必ず発病するわけではありません。結核に感染して、実際に発病する人は10人に1人程度であると言われています。では、結核菌に感染しても発病しない人と、発病してしまう人の違いは一体どこにあるのでしょうか。

その理由は長い間謎のままでした。しかし、スタンフォード大学シャロン・ペリー教授(Sharon Perry, PhD)らによる結核の研究の中で、その理由の一端が見えてきたのです。
彼女らは研究の中で、ピロリ菌感染者と非感染者の結核菌感染率は、ほぼ同じなのに対し、ピロリ菌感染者の方が、実際に結核を発病する人が少ないことに気付いたのです。

そこで、その事実を確かめるために、サルによる実験で検証することにしました。元々ピロリ菌に感染していたサルを結核菌に曝露させ、半年後に発病する割合を確かめました。すると、結核発病率は、ピロリ菌に感染していないサルのわずか3分の1だったのです。
これはピロリ菌感染によって、ウイルスや細菌の増殖を抑制するインターフェロン※の分泌が活性化する為であると考えられます。この為、結核菌に感染していても、うまく増殖を抑え込んで発病しないのです。
(※インターフェロン・・・ウイルスや細菌の増殖を抑えるタンパク質であり、免疫反応の調整をしています。)

その他に下痢についても、ピロリ菌に感染していない子どもは、感染している子どもに比べて、3倍も下痢をしやすいという。イスラエルの兵士18歳~21歳を対象にした調査において、ピロリ菌感染者の方が、細菌による下痢を起こしにくいという結果も出ています。

これらは非常に重要な視点を含んでいます。ある細菌感染が、別の細菌感染の状況に影響を与え、感染による宿主へのダメージを防いでいることになるのです。

ピロリ菌の除菌が及ぼす影響

日本では毎年約5万人の方が、胃がんが原因で亡くなっています。ピロリ菌の除菌は確かに、胃がんの原因を取り除くことになり、胃がんで亡くなる方を少しでも減らす助けになることは間違いありません。しかし、免疫機能全体で考えると、ピロリ菌がいなくなることで、免疫の活動バランスがどう変化し、その結果どこに影響が出るのかわからないところがあります。個人差も大きい為、何も起きないかもしれないし、花粉症などのアレルギー症状がひどくなるかもしれません。何か別の免疫疾患を誘発するかもしれない。ここまでみてきたように、食道がんのリスクを高める可能性も、また結核菌など他の細菌感染に対抗する抑制効果が失われる可能性も無視できません。

ピロリ菌が悪だと無条件で思い込んでしまう人が増えれば、胃がんを心配する年齢でもない若いうちから、除菌したいという人がたくさん出てくるでしょう。ピロリ菌除菌が一般的に認識され、広く受け入れられた時に、すべての年代において良いことだと判断されてしまうことが心配されます。
特に、幼い子どもに対しても除菌をすることをすすめる医師や、親御さんがたくさん出てくるかもしれません。「ピロリ菌=悪」という認識だけを持っていた場合、母親から感染する可能性が一番高いために、母親が検査を受けて陽性となれば、母親は責任を感じて子どもにも除菌を行うでしょう。これで将来の胃がんリスクは回避できたと・・・。しかし、その除菌の影響が、喘息や他のアレルギー疾患を誘発してしまうかもしれない。結核などの感染症に対して脆弱になるかもしれません。また、除菌に使用する抗生物質が、他の有用な細菌の定着に大きなダメージを与えかねないという懸念もあります。免疫系の調整に影響を与えていたピロリ菌がいなくなることで、どのような影響が将来にわたって出てくるのか、わからないのが現状なのです。

ピロリ菌について、現在盛んに除菌が進められています。ホリエモンこと堀江貴文氏らが呼びかけているピロリ菌検査を促す活動も、確かに予防医学の観点から有益なものでしょう。がん治療にかかる医療費削減にもつながります。

ここで論じたいのは、ピロリ菌除菌をすべて否定することではなく、個別に状況を判断する必要があるということです。胃がん家系であったり、胃に負担をかけるような食生活を長年続けてきたりした人、胃潰瘍の人などは、胃がんリスクが高いと思われる為、40~60代になれば除菌するメリットの方が十分にあると感じます。ただやはり、子どものうちの除菌やアレルギー疾患のある人の除菌は、十分に検討する必要があるでしょう。「ピロリ菌=胃がんの原因」という構図だけの単純なものではないということを意識しておきたいところです。ピロリ菌が免疫系に与えている広範な影響が、どのくらいあるのか考えておく必要があります。

子どもとピロリ菌、どう付き合うか

遺伝子研究から、ピロリ菌は少なくとも10万年以上前からヒトの胃の中で共生していたと言われています。これは、ヒトという生命共同体の一員として受け入れられた存在であるという証ではないでしょうか。悪影響だけを宿主に与えるものであったとすれば、もっと昔に排除されてしまっていることでしょう。私達ヒトは、何百何千という種類の常在菌とともに生きていることからも、ピロリ菌が何らかの役割をすでに担っていると考えるほうが納得できます。

マラリアや腸チフスのように、命に関わる細菌と違い、ピロリ菌感染が子ども時代に問題を起こすことはほとんどありません。胃がん発症リスクの高まる50代頃に、ピロリ菌との関係性に変化が起きているのです。一昔前、まだ人類の寿命が40~50年程度であった時代には、あまりピロリ菌の悪影響はなかったのかもしれません。平均寿命が伸びた現代において、人生の前半では良い影響をもたらしたものが、後半には悪い影響を与えてしまうという二面性が現れてきてしまったのです。

胃がんになるリスク、食道がんになるリスク、喘息やアレルギー疾患にかかるリスク、結核などの感染症にかかるリスク・・・。すべて可能性です。この可能性についてどう捉えるか、何に対しての可能性を重視するのか、ここが難しいところです。
ピロリ菌除菌が必要な人はだれなのか。除菌することで他の影響が懸念される人は誰なのか。また、すでにアレルギー疾患を持っている場合に、ピロリ菌除菌による影響はどの程度あるのかなど、もう少し胃がんとの関連性以外の部分にも耳を傾けなければならないように感じます。
予防医学を推進することはとても重要です。この考えに間違いはないでしょう。しかし、原因とされるものがひとつの事象のみに、影響を及ぼしていると考えるのは早計かも知れません。免疫系全体の働きから、ピロリ菌除菌における対象者のガイドライン作成など、早期に検討されることを望みます。また将来的にはピロリ菌の数を減らす、また活動を弱める方法で、共存しながら胃がんのリスクを下げる方法などが開発されることにも期待したい。

親がしっかりと判断してあげなければ、良かれと思ったことが、その子の一生を左右する悪影響を与えてしまうかもしれません。医学の恩恵を受けながらも、生物学的な視点も忘れず、自然な発育を見守ることも忘れてはならないことでしょう。

【参考・引用・関連リンク】
『寄生虫なき病』 モイセズ ベラスケス=マノフ(著) 文藝春秋

『失われてゆく、我々の内なる細菌』 マーティン・J・ブレイザー(著) みすず書房

『腸を鍛える―腸内細菌と腸内フローラ』 光岡 知足(著) 祥伝社新書

『ピロリ菌由来病原タンパク質CagAを全身に運ぶ小胞を発見』 京都大学、科学技術振興機構(JST)
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20160107/

『ピロリ菌の病原因子CagAによる胃がん発症の新規メカニズムを発見』 科学技術振興機構(JST)、東京大学医科学研究所
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20090122-2/

『ヘリコバクター・ピロリ菌感染と胃がん罹患との関係』 国立がん研究センター 予防研究グループ
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/287.html

『ヘリコバクター・ピロリ感染による胃発がん分子機構の解明』 東京大学大学院 微生物研究室
http://www.microbiol.m.u-tokyo.ac.jp/research/

Image courtesy of wikipedia-ヘリコバクター・ピロリ
Microbewiki-ヘリコバクター・ピロリ

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