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子どもとメディアの付き合い方はいつの時代も課題です。日本では1953年(昭和28年)からテレビ放映が開始されました。そして、街頭テレビに多くの人が群がっていた時代から、一人一台の時代へと変わり、1976年(昭和51年)に、岩佐京子氏の著書「テレビに子守りをさせないで」が、子育てスローガンとして流行った事もありました。

平成が終わろうとしている今は、「スマホに子守をさせないで」にすっかり変わってしまいました。視力が落ちるのが怖くて、我が子に出来るだけテレビやスマホをさせないようにしていた私も、1歳の息子が絵本の挿絵に、人差し指を立てスライドさせたときには衝撃を受けてしまいました。様々なメディアとの接触は避けられない現代こそ、付き合い方をしっかりと考えておくべきなのでしょう。

もちろんネットやメディアそのものが悪いわけではありません。出向かなくても好きな時間に買い物ができ、好きな話題を好きなだけ取り入れられる。足を運ばなくても外国の様子をリアルタイムで知ることができ、大好きなキャラクターが動き、彼らが勉強を教えてくれる事もあります。私たちに不可欠なものは、子どもたちにとっても最高の遊び相手であり、賢き先生なのです。

しかし、一方で危惧されたのは、視聴時間の長さや、睡眠時間と親子のふれあい時間の減少でした。〝脳トレ〟シリーズの監修者として有名になった川島隆太氏は、自身の著書『スマホが学力を破壊する』で、スマホを1時間以上使うと、使った時間の長さに応じて成績が低下していることを指摘されています。また、天才と呼ばれるビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、自分の子どもの幼少期に、ICT(情報通信技術)機器を持たせなかった事を紹介しています。

メディアの情報に隠された事情

われわれ大人も知らず知らずのうちに、思考が停止し、テレビの情報を鵜呑みにする事もあります。
最近でこそ錦織圭選手や大坂なおみ選手の活躍で、テニス界は大盛り上がりですが、サッカーやフィギュアスケートの試合に比べ、テレビ放送が少ないような気がします。
人気で視聴率がとれるから?いえいえ、実はサッカーやスケートは試合時間、演技時間が決まっていますので番組変更や打ち切りの心配がなく、取り上げやすいという一面があるのです。対して、人気が出ようとも長期戦になるテニスや将棋などは、テレビとして取り上げづらいのです。

では、地震や災害に見舞われたときに、なぜ報道番組ばかりになるのでしょう。テレビ局にいますと「どうして震災ばかり報道するんだ!」「同じニュースは飽きた」「楽しみにしていた娯楽番組や特集が中止になった」と、お叱りの電話を受けることもあります。そもそも電波というのは、こうした災害や事件が発生した時のために、情報を共有できるよう分け与えられている公共のものであります。ルールを逸脱するものや、国や放送局の意図しないものは流れないのです。

テレビの映像で流れた被災地には大きな寄付が集まります。311の時も、火災や津波の被害がひどいところは繰り返し映像が流され、寄付もボランティアも集まりやすいのですが、ヘリも飛ばせず、記者も立ち入れないほどの被災地や、原発など映像としてインパクトの無い被災地には、助けの手がおよばない事もあるのです。

今の人気番組には、ディレクターが海外に行ったり、日本で外国人を取材したりする番組が増えたように思います。なぜでしょうか。私たちが子供の頃は、アフリカの貧しい子供たちの生活を取り上げた問題や、戦争をはじめ世界が積み残した課題を掘り下げる番組も少なくありませんでした。景気が良かった昔は、札束をポンっと渡され「アフリカで何でもいいから撮ってこい」と言われていた時もありました。するとわれわれ記者も報道に対して、正義感と使命感がありますから、難民や貧困、環境問題などを、視聴者や読者に懸命に真摯に伝えようとしていたものです。けれども、今は不景気。フリージャーナリストは、自分で現地のガイドを雇い、車を用意し、必要最低限のボディガードをつけて話題を取りに行きます。もちろん自費。それを大手のメディアに購入してもらう、という流れがほとんどになってしまいました。もちろん相手は視聴率がとれるものしか首をたてに振りません。そうなるとネガティブなものより、ポジティブなもの、悲しいものより楽しいもの、報道すべきものよりも大衆に好まれるものが選ばれるのです。

では、新聞はどうでしょうか。「新聞を読むべきだ」とテレビで解説する博学な人気コメンテーターもいます。それはそうです。そんなコメンテーターの多くは新聞にいくつもコラムを書いています。宣伝しない手はありません。インターネットの記事は、一つ話題を読むと自動的に類似した閲覧者の興味のある記事があがってくるのに対し、新聞はまったく興味のない記事も目に止まる可能性があります。・・・と、新聞を勧めたい私は「元新聞記者」です。つまり、どこにでもバイアスはかかってくるという訳です。

子どもが信頼するメディアはネット

以前(2015年)、英国の情報通信庁Ofcom(Office of Communications)が発表した子どものメディア使用に関する調査結果がありました。それによれば、今の子どもたちはテレビよりYouTubeを長い時間視聴し、信頼性の高いメディアだと感じています。
12~15歳の約2割がGoogle検索の結果が真実に基づいた正しい情報であると信じ、7割が検索結果に出てきたものが、広告かどうかも区別がついていないというのです。こういった状況は日本でもほとんど変わらないと感じます。

今の子どもたちにとって、モバイル端末でネットのコンテンツを閲覧することは、当たり前になっています。この情報は信頼できるのか、この情報は広告なのか、この口コミやレビューは利害関係者ではないのか。正しい情報かどうかを判断するのは大人でも難しいものです。ただ、インターネットのない時代も知っている大人は、メディアの構造をある程度理解していますし、その他の媒体にも目を通す機会が多いためか、ネットに書かれている情報が全て正しいなんて最初から思っていないところがあります。一方で、生まれたときからインターネットがある世代は、ネットで調べれば何でもわかると、その情報を鵜呑みにしやすい傾向があるように思います。

今やネットでは、誰もが情報発信できる時代となりました。規制や圧力をかい潜り、利害関係に縛られず、匿名で情報発信できるからこそ真実が浮き彫りになることもあります。それがネット文化の良い面でもあります。しかし当然そこには、悪意を持って流される情報や、誤認や錯誤もあるため、それが真実ではなく、単なる噂話や都市伝説の部類に入る情報も見られます。そんな情報を子どもたちに影響力のある人気YouTuberが発信したり、SNSで流れてきたりしたらどうでしょうか。子どもたちは簡単に信じてしまうことでしょう。

親がどう受け止め、活用するか

情報は色々な事情を抱えています。悪意はなくとも、テレビやネットで流れているものが、事実ではあっても真実でないかもしれません。流れないニュースも多く、視聴者からは見えない部分に、その真髄が隠されていることもあります。子どもとメディアの付き合い方を考える際には、まず、自身とメディアの付き合い方を見直さないといけないと感じます。ニュースを見てどう思ったか、テレビやスマホがただただ夜更かしの原因や暇つぶしになっていないか。それを確認してから、必要な情報を好きなだけたくさん集めて、より良い家庭環境、子育て環境になるように活用できるといいですね。

さて、私の出身地は九州の佐賀県。市内の小学校が冷暖房完備になることが決まりました。授業中にプリントが汗で濡れて、ランドセルに入れる頃には、くにゃくにゃになる小学生たちにとっては小躍りの大ニュース。そして半年後、佐賀県にオスプレイが配備させることが発表されました。これは偶然で、子どもを持つ親の過保護な思い過ごしかもしれませんが、情報はヒントであって答えではないという事です。答えは別のところに隠されている場合が往々にしてあることを再確認して、情報を取り入れてほしいと思います。子どもを守るために、うまく取り入れるのが平成最後に私たち親に課せられた宿題なのかもしれません。

【参考・引用・関連リンク】
岩佐京子『テレビに子守をさせないで―ことばのおそい子を考える 』(水曜社、1976年1月)

川島隆太『スマホが学力を破壊する』(集英社新書、2018年3月)

■CNET Japan「インターネットはすべて正しい」–危険な10代の情報リテラシー
https://japan.cnet.com/article/35074265/

■Children and Parents: Media Use and Attitudes Report
https://www.ofcom.org.uk/__data/assets/pdf_file/0024/78513/childrens_parents_nov2015.pdf

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